拒絶の色

平安とは何でしょう?

たとえあなたがどんなに良い人であったとしても、すべての人があなたを100%受け入れてくれるのは不可能だという事実について考えたことがありますか?
 ある人々は、ありのままのあなた自身を受け入れてくれるでしょう。一方、あなたという人を受け入れることができない人々もいるでしょう。おとなしい性格の人とはうまくやっていけない人々もいれば、社交的な人が苦手な人々もいるからです。この世の中は無数の対照的な人々で満ちあふれています。外向的な人もいれば、内向的な人もいるのです。
また、自分ではどうすることもできない、持って生まれた境遇のゆえに、拒絶の痛みを味わっている人々がたくさんいます。どこで生まれたか、どんな親から生まれたかなどということで、人から受け入れてもらえないのです。私の知っているある人は、母親が売春婦だったために人々から拒否されました。なにも好き好んで売春婦のもとに生まれたわけではなかったのに、おかまいなしに拒絶されてしまうのです。拒絶は様々な形で表れます。あなたを今日受け入れてくれる人が、明日になってあなたを拒否することもあり得るのです。

人はなぜ拒絶されるのか、どうやってこれを乗り越えるのか

人を拒絶したり、あるいは拒絶されたりすることの背景には様々な状況と根拠があります。いずれにしても、たとえ拒絶されても乗り越えることは十分可能です。

 ケースその1:私たちは人からねたまれて拒絶されることがあります。人生がうまくいっていない人は、成功している人を見てねたむあまりに、その人に拒絶という矢を投げかけてきます。

 このような場合に私たちがしなければならないことは、へこたれないですぐに立ち直ることです。立ち直ることは、逆境を乗り切る能力です。それは、私たちを脅かすような出来事や精神的な打撃となるような体験の中でも、持ちこたえ、すぐに気を取り直して元気になる心の回復力です。人から拒絶されたからといって、あなたは拒絶されるに値する人間ではないのです。落ち込んだ気分を吹き飛ばし、失望やあきらめの感情にあくまでも抵抗し、前向きな気持ちを持ち続けるなら、前進するための力を得ることができます

ケースその2:憎しみが人を拒絶する原因であることがあります。あなた自身の人柄ではなく、あなたに付随する事柄によって、拒否されたことはありませんか? 国籍、民族性、家系、出身地など、あなたが自分で選んだわけでもない事柄によってあなたを拒否する人々がいるなら、我慢しないで、できれば、敵対勢力のできるだけ少ないもっと良い環境に身を移したほうがいいかもしれません。
 だからといって、敵対者たちに対して、心の中で憎しみの炎をくすぶらせるようなことはしないでください。あなたには、心の中にわき起こる憎しみの感情に打ち勝つ力が備わっているのです。憎しみは暗闇です。しかし、愛は暗闇を照らす光です。愛は憎しみに打ち勝つのです。「目には目を…」などといって、仕返ししたりしないでください。あなたを信じて励ましてくれる人々を探してください。「人からの拒絶」は弱々しい怪物です。無条件の愛によって、これに打ち勝つことができます。
 もし、このような状況の中で身を置く環境を移すことが不可能なら、無条件の愛であなたを信じてくれる人々があなたの周りを取り囲むようにしてください。あなたを拒否する人々に恨みを抱く必要はないのです。

ケースその3:貪欲が拒絶を引き起こす場合があります。あなたに法的な所有権があるにもかかわらず、誰かがあなたのものを欲しがったり、相続したいと願っていたりするため、脅かされてはいませんか? このような場合、あなたは自分の心の奥深くを見つめる必要があります。懸命な働きかけはしても、競争に引き込まれることがないようにしてください。

ケースその4:無知、敵意、怒りが拒絶の原因になることがあり得ます。あなたのことをよく知らなかったり、偏見を抱いていたりするために、あるいはあなたの国や出身地などについて十分な知識がないために、時々あなたを誤解する人々がいるかもしれません。このような場合、もし機会があれば、そして相手が迷惑でなければ彼らと時間を過ごし、あなたのことについてよく知ってもらうのがいいかもしれません。ただ問題なのは、彼らの誤解にねたみが絡んでいる場合です。この場合は、あなたがいくら誤解をはらそうと説明しても、状況は変わらないでしょう。こんな時に大切なのは、自分自身の目的を見失わないように気をつけることです。すべての人を喜ばせることができるわけではないということを覚えていなければいけません。あなたを信じ、理解してくれそうな人を探し、正しい情報を伝えて、ビジョンの実現を助けてもらいましょう。

ケースその5:私たち自身が他の人々への感謝の心を欠いている時、それも人から拒絶される原因となり得ます。時々私たちは、人生に良い影響を与えてくれた人々に感謝するのを忘れてしまいます。失礼な態度で接してしまうことがあります。この場合は、誰のせいでもなく、自分のせいで拒絶されたのです。こんな時には、自分のふるまいや人格に至らない点があると認め、謝罪すべきです。多くの場合、本当に悪いことをしてしまったと心から謝るなら、和解の扉は開き、受け入れてもらえることでしょう。

 いずれにせよ、たとえ拒絶される原因が何であろうと、私たちはそれに打ち勝つことができるのです。人からの拒絶は、乗り越えることのできない問題ではありません。

心理学者マスローの提唱する「欲求五段階説」の中で、「安全を求める欲求」についてこう説明されています。すなわち、社会における平均的な子どもはたいてい、予期せぬ対処が困難な出来事が起こらないようにとの期待から、安全で秩序がある組織化された社会を好むそうです。ここで言う、子どもが避けたい対処が困難な出来事の中には、人からの拒絶という状況も含まれています。
 マスローが言うところの子どもたちの好む安全な社会は、完璧な環境が整わない限り実現不可能でしょう。この世の中にそんな完璧な環境など存在していないと思います。もし天国という場所があるなら、完璧に安全な社会は天国にしかあり得ないはずです。この世の中に生きている限り、私たちは拒絶という問題に向き合っていかなければなりません。とはいえ、案ずるなかれ。拒絶されても、すぐに立ち直る心の回復力を身につけることは、妥当な解決策だと思います。

 マステンと仲間の研究員たちは、1990年に行った子どもの心の回復力の研究において、心の回復力のある子どもは次のような特徴があると述べています。
すなわち、逆境や困難、脅威を覚える状況の中でも、心身の機能を健全に保てる、あるいは、精神的な打撃となるような体験を跳ね返して立ち直ることができる。このような子どもたちは、普通以上に何か優れた特質があるわけではありません。彼らはただ、自分に不利な状況を何とかして切り抜けているのです。少年期や青年期にある子どもたちがストレスを克服し、心の回復力を発揮するのを助ける2つの重要な保護的要因があります。
それは、家族との関係および認識力(考え方、見方、信じ方)です。マステンは心の回復力のある子どもの特徴を挙げていますが、それによると、彼らの回復力の源は家族にあり、思いやり深い親による厳格な子育てと密接な関係があります。親の優しく温かい人柄、快適な住宅、親から子への高い期待、経済的なゆとりなどは、子どもの心の回復力に良い影響を及ぼします。また、立ち直りの早い子どもは、頭の回転が早く、魅力があり、人づきあいが良く、のんきな性質で、自己効力感(遂行能力についての自己評価)が高く、自分に自信があり、セルフイメージが高く、多才で、誠実な人柄を備えています。

 一般的には、不幸な境遇の子どもたちは幸福な環境で育った子どもたちに比べると、より多くの適応障害を抱えていると言われていますが、マステンの研究結果には励まされます。すなわち、暗く否定的な子ども時代を過ごしたからといって、人生がだめになるとは限らないということです。多くの子どもたちは最悪の環境の中からも立ち上がる強さを持っているのです。

教師でもあり心理学者でもあったイエスも、人々からの拒絶を幾度も経験しました。自分を拒絶する人々にも愛を示し、いっそう親切にしました。人から拒絶されることの痛みを彼自身が知っているので、こう言うことができたのです。「誰でも私のもとに来る人を、私は決して拒まず、決して見捨てません」拒絶されても心に恨みを持つことなく、不親切になることもありませんでした。イエスは、心のしなやかさを身につけた人でした。

 人からの拒絶によって人生を暗くするか、それとも明るく生きられるかは、あなたの心の回復力次第です。心の回復力を身につけた人だけが、拒絶を勝利に変え、力強く生きることができるのです。

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