生活の一部としての音楽

音楽は、評価してもしきれないほど、日々の生活において大切なものです。

音楽は私たちに癒しを与え、気持ちを高め、そして私たちを強くします。
この世で、音楽以上に重要なものはありません。天国には音楽の起源がありました。
良い音楽は、天国にいらっしゃる神から、私たち人間のところにやってきたのです。

すべての良い事柄は神によって作られ、命が与えられます。音楽が私たちに穏やかに作用してきたのはそのためです。
例えば、第二次世界大戦後に砲弾ショック(戦争神経症の一種)にかかった兵隊が、音楽を聞くことで、血圧が下がったり、身体を形成する特定のホルモンやエンドルフィン、天然の鎮痛剤が身体の中で増えたという結果があります。

現在サタンと呼ばれているルシファーは、音楽的天才でありますが、彼は神の創造物でした。神はルシファーをとても美しく、そして良い音楽を奏でる才能の持ち主にしました。

なぜ多くのアーティストが間違いを犯すのか

人間はリズムを伴った創造物です。身体のあらゆる部分でリズムを刻み、そのリズムに人間は呼応していきます。脳には脳独自の、心臓には心臓独自のリズムがあります。人間に備わる全ての細胞はリズムを伴っており、音楽を聞くときには、音楽のリズムとシンクロします。(身体に刻まれた音が、私たちが聞いている音楽の音に呼応しているのです。)そして、良い音楽によって、私たちは本来の私たちを知ることができます。私たちは自身の鼓動や、生活に適した周波数を知ることができるのです。
このように、良い音楽とは私たちが独自のリズムを知り、そのリズムに応じるのに役立ちます。神を、神として崇拝することで、神は人間の本質を、より素晴らしいものにします。

 神は音楽の創造者であるため、音楽は元来、神への愛情や思いやりを表現するために創られました。しかし、この世界が未完成であるがために、音楽は違った現象をもたらしました。それは、人々の関心が、音楽という大切な贈り物を与えてくださる神ではなく、演奏する人間(アーティスト)へと移ったことです。

現在では悪魔とみなされるルシファーがまさにそうです。授かった音楽の才能を元に人々の注目を浴び、そして、彼は間違いを犯してしまいました。神になれるのではないかと考え、あり得もしない、そして不可能である神の座を奪おうとしました。ルシファーは天国を追放され、悪魔になり、人類の悲しみの種になり、災難の源になりました。そして天国に彼の居場所はなくなり、サタンという名で知られるようになったのです。

これと同様の危機が、熱狂的なファンから賞賛と注目を浴びているたくさんのアーティストにも起きています。彼らは、音楽の才能を与えてくださった神に感謝する代わりに、自身をアイドル化しています。

音楽のアイドル

聖書はこのように説いています。神は、生き写しやアイドルによって代表されることはないため、唯一無二の神以外を受け入れるべきではないと。アイドルは、神とはかけ離れた人間の生活の中で、重要な立場を競い合っているにすぎないのです。アイドルを神へと仕立てることは危険な行為であり、人々を葛藤させ、満たされない夢に導くだけです。

 日本の音楽業界で活躍したヒデが自殺をしたとき、大勢の若者が後追い自殺をしようと考えました。
 彼らはヒデの音楽を高く評価するうちに、知らず知らず、ヒデ自身をもアイドルとして崇拝していました。神が警告していたアイドル崇拝を行っていたのです。アーティストは良い音楽を私たちにもたらしますが、彼らは生活の中で最も重要な人物ではありませんし、そうあるべきでもありません。アーティストは神の恵みや愛を人間社会に伝える役割を担っているにすぎないのです。私たちが音楽界のスターを崇拝しはじめ、なくてはならない存在だと思い始めるとき、私たちは、彼らがただの人間であることを詐欺であると感じ、嘆くのです。

 大切なことは、私たちがアーティストや音楽界のスターとの関係を学ぶことです。ほとんどの場合、私たちは彼らをほめたたえすぎ、アイドル化してしまいます。そして、彼らの素晴らしい人柄や、道徳的な振る舞いは欠如していき、地位に酔いしれてしまいます。

 私はマイケルジャクソンの最新の映画「This is it」を観た人たちが、マイケルジャクソンは本物の神だったと宣言しているのを聞いて驚きました。マイケルジャクソンに与えられた音楽という素晴らしい才能を賞賛したとしても、彼を神と同等に捉えることは無益に過ぎません。もしマイケルジャクソンが自身の成功をコントロールし、賞賛や偶像化に有頂天にならずにいれたなら、もっと長く生きることができたでしょう。彼の家族は問題が大きくなったとき、彼に聞く耳を持たせられなかったでしょう。このように、良い人格がなくては、才能は災難になってしまうのです。In the marking?
 神の音楽は喜びを与えるものであり、アーティストは尊敬されても、神になるためのものではありません。

ゴスペルにおける音楽、アーティストそしてアイドル

ゴスペル音楽を特徴付けるものとして、それぞれの場所に適した音楽があるということです。音楽は神をたたえ、人々を救う道具です。そして、アーティストとは全能なる創造者が人間という種に、音楽を広めるために選ばれた器なのです。
 ゴスペル音楽において、私たちはアーティストを偶像化はしません。アーティストに与えられた天賦の才を神に感謝し、彼らが奏でる良い音楽を賞賛しますが、彼らを神のように扱うことはありません。

音楽は分裂するための武器ではない

現在、音楽には様々な形態やジャンルがあります。ある人にとってある種の音楽は、他者との異なりを訴える音楽になっています。もしくは、別の音楽アーティストはさらなる違いを訴えています。しかしながら、ゴスペル音楽においては、そういった違いはありません。わたし達はアーティストが持つ異なる才能をたたえるとともに、アーティストが神の手によって人間にもたらされた器であること忘れません。アーティストはみんな、人間らしく演奏する場所を持ち合わせているのです。
 音楽界のファンは、ミュージシャンを神に仕立て上げているばかりに、スターに異常なほど情熱を燃やしがちです。ゴスペル音楽においては、そのようなことはありません。
 ゴスペル音楽の目的は、アーティストは共に動き、共に作り上げていく機会を見いだすのです。

 ゴスペルアーティストは調和を生み出します。神と同一化されることよりも、人に仕え、謙虚さをもって演奏することを好むのです。

 私が最も伝えたいことは、神は音楽の創造者であることです。神を崇拝し、私たちが人間として生かされていることを感謝するために、神は私たちに音楽を与えました。
 私たちはアーティストをアイドル化すべきではありません。音楽は調和の源です。個々の音楽の好みに関係なく、人と人を強く結びつける役目を果たす、そういった健全なるものなのです。私たちはアーティストを神のように祭り上げるのではなく、社会における本当の役割を伝えていく責任があります。神のように扱うことは、長い目で見れば彼らを破滅や堕落に追い込むことになるのですから。
 最後に伝えたいことがあります。誰にとっても、あなたのリズムを作る音楽があります。全能なる神の作品に応える音楽があるのです。